ママ友やご近所、家族――「無理につながらない」を選ぶ勇気で心地よく!
子どもが生まれると、家族関係を起点に保育園や学校、ご近所づきあいなど、自分ひとりでは出会わなかった人間関係が一気に広がります。「ママ友」という言葉に象徴されるように、子どもを通じた関係性の中で、「つながらなければならない」というプレッシャーを感じることも少なくありません。
でも、本当に無理してつながる必要はあるのでしょうか? むしろ、適切な距離感を保ち、自分自身の時間を確保することが、より健全な関係を築くカギかもしれません。
今回は、コミュニティデザインの第一人者である山崎亮さんに、家族やママ友などの「狭くて個人的なコミュニティ」を心地よくするヒントを伺いました。
山崎亮(やまざき・りょう)さん
建築家・コミュニティデザイナー。studio-L代表。関西学院大学建築学部教授。「コミュニティデザイン」という概念を提唱し、全国各地でまちづくりのプロジェクトを手がける。著書に『コミュニティデザインの源流』(太田出版)、『縮充する日本』(PHP新書)、『ケアするまちのデザイン』(医学書院)、『面識経済』(光文社)などがある。
「一人の時間」を確保する大切さ
会社、家族、友人など、コミュニティ内のつながりを考えるからこそ、本当の意味で1人になれるプライベートな空間を準備したほうがいいと考えています。一般的に言われることと違うかもしれませんが、これが私の結論です。
私自身、外でコミュニティデザインやファシリテーションをする時は「パブリックモード」に切り替えています。それは好きなことだから嫌ではないのですが、人間という生き物は、長時間にわたって人とコミュニケーションを取り続け、明るく振る舞い続けることで疲れが蓄積します。
子育て、パートナーとの関係、家族のマネジメント、仕事、ママ友コミュニティ──どこでも程度の差はあれ、気を張っているはずです。
そんな中で「最後はあそこだ」と思える場所が必要なんです。
トイレでもお風呂でも本棚の陰でもいいです。たとえ5分、10分だけでも、家の中のどこかに、完全に1人になれる場所を確保すること。
広さは家庭の事情やパートナーとの都合で異なりますが、1人でポツンといろんなことを考えられる場所があると、そこから再び外に出て行く活力が生まれます。
私は現在、家族も入ってこない空間を1つ作っています。何も気にすることなく完全に1人という状態を挟むことができるようになってからは、気持ちがすごく楽になりました。
家族と円満な関係を築いていても、寝る直前まで親であり、パートナーであり続けなければならない状態だと疲れます。「コミュニティのなかにいる自分」ではない状態、つまりプライベートな時間と空間を確保することで、その後のことがうまく進むと感じています。
時代の変化と「個」の空間
歴史的に見ると、男性は外で働くことで「パブリックモード」になる時間が長く、そのため家に帰ると「書斎」という個人空間が用意されることが多かったと思います。
一方、「お母さん」と呼ばれる役割を担っていた人たちは、あまり外に出て働くことがなく、男性ほど多くの面で「パブリックモード」にはならなくてよかった。そして、このお母さんという役割の人たちには、なぜか個人の空間が与えられてこなかったんです。今の住宅の形式も、基本的にはそのままなんですよね。
にもかかわらず、現代では女性も男性と同様に社会に進出し、働き手としての役割も担うようになりました。家に帰ってきたとき、「お父さん」と呼ばれていた人たちのような個室が女性にも必要なのです。トイレやお風呂場など、たとえ短い時間でも完全に1人になれる空間を見つけることは、今の時代だからこそ必要だと思います。
親友にならなくていい。慎重にアプローチを
では、人との関わり方はどう考えていけばよいでしょうか。
私は「そうかんたんに人とつながらない方がいい」と考えています。
古代ローマの哲学者キケローの『友情について』(岩波文庫)という本に、「あまりかんたんに人と友達にならない方がいい、慎重に近づいていった方がいい」と書かれています。2000年も前の文章が現代まで読み継がれているということは、多くの人が「確かに」と感じているからでしょう。
例えば人が馬を選ぶ時(当時は車がないので)、その馬は気性が荒いのか優しいのか、馬力があるのかどうか、傷はついていないか、じーっと見ながら「よしこの馬なら俺の相棒にできる」とお金払って馬を買うわけですよね。それにもかかわらず、人間はすぐに友達になろうと努力し始めるというようなことが書かれています。人と馬を一緒にするのは賛否両論あるとは思いますが、よくわかるなと思いました。
なぜか人はつながらなきゃいけないような気がして、相手はいい人だと思い込み、後で傷つくことがありますよね。
コミュニティデザインの立場から言いたいのは、かんたんに人とつながらないことです。もっと慎重に、じわじわと近づきましょう。「1年や2年経っても、親友にならなくていい」という状態から始めるほうがいいと思います。
これは、ママ友などのコミュニティに入るときも同じです。
かんたんにコミュニティに入らない方がいいというか。入るなら、少し端っこの方から様子を見て「いつでも抜けちゃうかもしれないよ」という不安定さを持って入りましょう。
早く仲良くなりたいからといって中に入りすぎてしまうと、例えば断りたい話がきた時に断れないなど、「そこにいたい気持ちと離れたい気持ち」が引っ張り合う力学が働いてしまう気がします。
自分はこのコミュニティの中で居場所を確保したいのに、断ると外に出される危険性を感じますよね。それで両方に引っ張られて、最後は断りたいものも断れなくなってしまうと思います。
最初から近づきすぎず、少しずつ様子を見ていくといいですね。
もうひとつ、「嫌われる勇気」的な話になりますが、現代は「こういう時はこうしましょう」「こうすると嫌われます」といった情報が入りすぎている気がします。そういう意味では「鈍感力」というか、「それは知らなかった」と言える状態でいる方が良いかもしれません。
情報を意図的にシャットアウトして、本当に知らない状態を作った方がいいのではないでしょうか。コミュニティの中での振る舞い方やLINEでのやりとりで一般的にいわれていることを「知らなかったです」と言えること、そして「知らないの?」と言われても気にしないこと。嫌われるかもしれませんが、そんな気持ちで接することも大切です。
それを面白がることができるようになれば、もっと気楽に過ごせるのではないかと思います。
本音は宝物として扱う
「本音で話し合う相手」もあまり多くなくていいと考えています。自分の本音はかんたんに人に明かすものではなく、とても価値のあるものです。
家族にすら見せるのは年に1回か2回ぐらいにしておくくらい、貴重なものだと思いますね。
人と人の関係を潤滑にするために、言葉があります。人を励ましたり、褒めたりすることで相手が気分よくなり、何かを一緒にやっていこうと思える関係になります。これは本音でなくてもいいんです。むしろ意識的に、人と人の関係を潤滑にしていくための言葉を選ぶことが大切です。
本音は大切な宝石みたいなもので、気安く出さない方がいいような類にあって、いつもこの本音に照らし合わせながら行動の指針を自分の中で生み出していく。そんなものとして考える方が良いような気がしています。
ママ友は必ずしも必要ではない
かつて3世代同居していた時代、子育ての悩みは子育ての先輩であるおばあちゃんに相談できました。地縁型のコミュニティがあった時代には、昔から知っているおばあちゃんやおじいちゃんが子育ての悩みを聞いてくれました。
それが核家族化し、特に男性があまり子育てに参加しなかった時代には、お母さん1人で子育てをすることになり、保護者同士で情報を共有するようになりました。これがママ友の始まりなんじゃないかと思います。おばあちゃんが近くにいないから、みんなで情報を共有したっていう時代があったんだろうと思いますね。
しかし、現代ではインターネットが登場し、特にWeb2.0以降は、全国各地の人たちに相談を投げかけることができるようになりました。「ママ友がいないと相談できない」と思い込む時代は続いているかもしれませんが、実は近くのママ友や近くのおばあちゃんより、もっと良いアドバイスをしてくれる人が日本全国のどこかにいるかもしれないのです。
ママ友が絶対に必要なのか、一度考えてみてもいいと思います。同じ地域のママ友ではなく、オンライン上のつながりの方が良いこともあるでしょう。そういう場でいろいろな相談や知識が得られる時代になっているのです。
つながりを大事にするからこそ!「自分だけの空間」を持つことを目指そう
これまで話してきたように、周囲との関係性を円滑にするためにも「個」の時間は現代人にとって大事にしたいものです。
そこで、子育て中の女性たちには、「自分だけの空間」を持つという目標を持つことをお勧めします。
50代、60代までの間に「私しか入れない部屋を作るぞ」と狙っておくといいですね。そこには自分自身の価値を高めるものだけを置き、子どものため、旦那のためのものは置かない。鍵がかけられる、自分だけの空間です。
現実的にはすぐに実現できなくても、「いつか自分だけの空間を作る」という夢を持つことで、日々の生活に希望が生まれます。トイレや風呂場での「1人の時間」は、それに向けた練習だと思えば楽しくなります。
「このままだと思うなよ、必ず私の部屋を作ってやるんだ」という思いを持っておくことで、どんな家具を置こうか、壁紙は何色にしようかなど、いろいろ考えられて楽しいですよ。考えるのは自由ですから、「できるはずがない」という気持ちは横に置いておいて、とりあえず夢を膨らませるプロセスを楽しみましょう。
そして隙あらば本当にそれを実現しようと思い続けることで、未来に対して絶望せずに済むと思います。
子どもにも必要な「1人の時間」と「コソコソする空間」
1人の時間が必要なのは、親側だけでなく子どもも例外ではありません。子どもこそ、「コソコソする時間と空間」をちゃんと作った方がいいと思います。
子どもたちがコソコソしている時って、ドキドキしながらいろいろバレないようにしますよね。ものすごい工夫がそこで生まれているんです。学校で授業を受けている時より、友達と秘密を共有している時のほうが知的な成長が爆発的に上がるように感じます。
現代の子どもたちは、学校でもソーシャルモードで過ごし、学童に行ってもソーシャルモードで過ごし、家に帰っても親の前では良い子でいなければならない。さらに塾に行けば、またソーシャルモードになる。これでは疲れてしまいます。
学校と塾の往復など、詰め込みすぎてノイローゼになってしまう事例もありますが、ひょっとしたらそれは勉強を詰め込まれているわけではなくて、ただソーシャルモードがずっと続くということが問題点なのかもしれません。
学校、学童、塾の合間に「1人になれる時間」や「コソコソ時間」のようなプライベートモードをドーンと挟み込むことができれば、何とか精神は保つことができるのかもしれません。
親の目がないところで子どもたちが自由に過ごせる時間を作ることで、子どももリフレッシュできますし、親自身も気持ちが楽になるんじゃないかと思います。
まとめ―小さなつながりを心地よくするために
小さなコミュニティの中で心地よく過ごすためには、以下のポイントを意識してみてください。
コミュニティに入るなら、それと同じぐらいの比重で1人であることという時間を担保し、いつでもそことのバランスを考えながらソーシャルモードに切り替えていく。それが小さなつながりを心地よくする秘訣だと思います。